FC2ブログ

たまに 想像してみる。

1018_545183058840644_498947249_n.jpg


歌うことが好きなのは、自由を感じるから。

絵を描くことも、踊ることも、そこに決まりがなく、自由に表現できるものの方が好き。

歌詞があるときは、歌っているうちにイメージの中に入って、まるでその歌の世界で演じている気分になってくる。
うまく歌えたときは特に。

🌟

イメージが強すぎて、言葉にならないときがある。
初めての場所じゃないのに、道がわからなくなるときや。
言葉で覚えてなくて、イメージになっていて、人や物の名前、経験を言葉で言われてもすぐに答えられないときや。
何回も会ったことあるのに、その人の何かが変わっていて、顔がわからないときもある。

そういうときって、人からは「忘れてる」んだって思われる。
すぐに答えなくて、間が長すぎて、聞いてないのかって、思われることも。
言葉以外で覚えていて、イメージで聞いてて、イメージの中で、答えたつもりになっているときに、そういうことが起こる。

そのおかげで、そういうことを回避するための術も習えてきたのだと思う。
例えば、グラウンディング、瞑想、ヨガ等。
でも、リラックスしてるときや、友達といるときは、そういうことが起こりやすいかも?
素の自分でいれるから。
小さいときは、おとなしい子だったから、そっちの方がとても強かったのかもしれない。


エネルギーに敏感だったり、言葉以外のところで、会話していそうな人。
そんな人に、いろんなところで、出会ってきた。
日本にかかわらず、他の国でも。


目の手術したとき、3ヶ月、下を見て過ごさないといけなかったので、人の顔をみないで、その人の暖かさ、独特の色に、とても敏感にわかったことがあった。
視力以外に頼るしかなかったから、とてもわかりやすくなってた。
だから、自分にはそういうところがない、と思う人でも、使ってないだけな人もいるんじゃないかって思う。

それは、特に変わったことでも、不思議なことでもない。
そういう人は結構、周りにいるはず。

今日もそんな人と出会った。
言葉以外のところで、通じあえた気がしたよ。

🌟

言葉は、便利だけど、それだけでは、見失うものがある。
目に見えるものだけに頼りすぎると、その人の光る部分が見えなくなる。

どこ出身の人か、女性か男性か、何歳か、背が低いか高いか、どんな体型の人か、とか。
そういうことは、ある程度、その人について、伝えてくれることはあるだろう。
でも、それだけじゃない。
たぶん、そういうものが邪魔しすぎて、見えなくなっているものがあるはず
そして、過去の記憶も、未来への予想も。


たまに、想像してみる。
見た目が全く同じで、同じ言語を話す人だけだったら、どんな感じなんだろうって。

スポンサーサイト



「ヒーリング・パルス・リトリート」のこと。

ながれていくもの


去年参加した「ヒーリング・パルス・リトリート」
また今年もあるそうです。

ヒーリング・パルス・リトリート in 2015



このときに書いた感想
久しぶりに読んだ。
もう自分の一部になっていて、忘れてた。
でも、始まりは、この時だったんだな。

このリトリートのあと、知り合いのカフェで、店に置いてあったタンバリンを無性に叩きたくなって、叩いてた。

そのときの感覚。
なんとも言えないものだった。
そこにいた3人で、産み出したリズムの波の中にいた。
リズム感がないとか、打つ手の動きに間違いがあるんじゃないかとか、思わなくていい、間違えようのないふしぎな流れの中にいて、ただ、それを楽しんでいた。

それは、英語から日本語に、日本語から英語に変換するときに、ひとつひとつの単語の意味を考えずに、イメージが流れてきて、いつの間にか流れにまかせて話してるような感覚。
(同時通訳してるひとは、仕事中、こんな感じなんだろう)

エネルギーワークやヨガ、瞑想のワークを提供するときや、一人でワークをやっているとき、ふしぎな「線」のようなものにすっと入ってく瞬間。

からだが何かの流れにちょうどぴったりあったような。

ヨガでいうと、ちょうどよいバランスのところに全体があって、流れの中でからだが自然に動いてくような。

施術をしているときに、受けてもらっている人の微細な内部の動きがわたしの手に、ある瞬間から同調して丁度よい方向に導いてもらうような。

そんな瞬間に起こる感覚。

それは、わたしひとりの中で起こるか、施術のときに受け手側との間に起こる「内面だけで感じる」ものだった。

このリトリートで、初めて、それに「音」(リズム・パルス)が加わった。
外から聞こえてくるもの。それでいて、内面にも同時に起こっているもの。

音、光、色、エネルギーと、名前は違うけど、もとをたどれば同じなんだって気がつかせてもらった。

去年参加した理由は忘れた。
でもリズム感を学ぶとか、太鼓の叩き方を学ぶ、っていうリトリートではないんだって、参加して初めてわかった。
それ以上のものだった。

この説明読んで、やっとこのワークショップで起こっていたことが、あらためてわかった。
(以下、Inner Silence フェイスブックページより引用)

「前半3日間は、パルスとリズムを全身で味わうことを何度も繰り返していきます。そうすることによって徐々に思考が薄くなり、その反面、意識が明晰になり、パルスとリズムが融合していきます。この融合体験は「恍惚状態」をもたらし、思考では捉えきれないものに触れていく感覚があるのです。個を超え、思考では捉えきれないものに触れた時、何か源に触れる感覚があり、その時に人は癒されると思うのです。」

では、あのときの感覚は、「個」を超えて「源」に触れた感覚なのだろう。
ひとが「癒される」感覚。

自分の悩みや、置かれている状況が消えて、この瞬間だけになる。
圧倒的なパワフルな、この瞬間だけ。
時空を超越したような感覚。
そのとき、自分がひとりではなかったんだって気がつく。
意識しないで、呼吸をして、心臓が動いている。
それだけでも、奇跡的なことで、生かされていたのだって気がつく。
そういうとてもシンプルなことは、いまここを意識できたときに、初めて気がつけることなんだと思う。
強烈にそれを体験できたとき、ひとはなぜか、安心し、癒しが起こるのではないのだろうか。



※ 開催場所のホームページ:越後奥寂庵
 Facebookページ:Inner Silence

やっと、出逢えた「○」。

はちのじのまんなか

からだの中心に感じる「静けさ」。

「静けさ」とリズム、パルスは同じ。

リズムは今が動いてったもの。

そのパルス(脈動)は、ひとつの動き、そしてみんなの動きがつながったもの。

そして、そのまんなかに、「静けさ」がある。

海の波。
空の風。
「昔」の時から、流れてきてるパルス。
生きてるエネルギーの流れ。

穏やかで、静かな、ところ。

「静けさ」のタイムラインにある「間(ま)」。
「間」=「今」

「今」を感じる。
「今」を強烈に感じる。
「今」を濃厚に感じ、味わう。

そこに「静けさ」が現れて、「今」だらけになる。
「間(ま)」になる。



強烈に生きてる感覚があるとき。

愛し、愛されるとき。
愛しあうとき。

ひとりでいるようでも、それを感じる、感じられるとき。

一人の、二人の、みんなの、時が止まって感じられる。

その瞬間の「今」にいる。
そのまっただなか、まんなかに。
広くて、狭くて、おっきくて、ちっさい、点の中心に。
すっぽり。
はいってる。

まるで、時を越えて、出逢えたような。
そこにたどり着いたような。
でもいつもそこにいたような。

なつかしくて、あたたかいところ。

不思議な瞬間。
空間。

「空」の「間」。

空の目
竜巻の目。
渦潮の根っこ。

子宮と地球。

8の字のまんなかの点。

やっと、出逢えた「○」。

(2014月10月13日。「ヒーリング・パルス・リトリートリトリート」にて。)
プロフィール

Yokie (よーきー)

Author:Yokie (よーきー)
心と身体を見つめていく中で、いろんな偶然の出会い、素晴らしい出来事がありました。


出逢った全ての人たちへ。

感謝の気持ちを込めて。


「ありがとう!」



★ YOKIE(よーきー)
〜 エネルギーボディワーカー

アトピーのリバウンド、5回の両目の手術を通し、心と身体に興味を持つ。

会社員時代は、度々ドクターストップがかかり、入院生活を送る中、
自分の身体の声に耳を傾けることを始める。

会社員を辞めた後、本格的に、ボディワークのセッションを始める。
また、エネルギーワーク探求のため、海外に出向き、ヨガや瞑想をマスターし、
セッションに取り入れるようになる。

現在は、ボディワークのセッションの他に、
ヨガと瞑想、エネルギーボディワーク講座を行っている。

最新記事
月別アーカイブ
カテゴリ
検索フォーム
QRコード
QRコード