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「不安と楽しみは、いつも同じ場所にあるのよ」

Facebook の記事より。
3年前の今日、書いていた記事を、久しぶりに読んだ。

「不安と楽しみは、いつも同じ場所にあるのよ」
ほんとに。
この後、いつの間にか、何回も確認作業してたみたいだ。
怖さの向こうに、やりたいことが隠れてた。

どんな「絵」を描きたいかも、見えてきた。
遅くても描く作業自体、楽しくなってきた。
目的にたどり着くことに、早い、遅いは、関係なくなってた。
道中も楽しい。

小さいときのわたしが愛おしく感じれる。
大好き。
よくがんばってたね、と心から思えるようになった。

「跳ぶ」瞬間は、今も怖い。
でも、慣れる。
怖さに対応できる術が身につく。
そして、そんなに怖くなくなる。
何より、その瞬間、ひとりだったことは、なかった。
ひとりで海外で究極に困ってたときでさえ、助けてもらえた。

小さいときに、怖い記憶で終わってるものは、ぶつかったときに、再体験する。
そして、気がつく。
そんなことが、怖いのかって。
怖い。
でも、怖がりの自分も、人間らしくていい。

トラウマは、消えるより、薄くなるものなんだね。
記憶は消えない。
消えなくても良い。
役に立たせることにした。
そこも含めて、ちいさなわたしが大好きだ。
そう思えたら、そのときの登場人物も、愛おしく思える。
記憶を発掘しながら、自分の全てを、今は受けとめられる。
無駄なことは、なかったと思える。

できないことは、できなくてもいい。
必要なら、やらないといけないことなら、また同じことが起こる。
それを何回も繰り返す。

バチが当たったのだと思ってた。
自分が蒔いた種だ。
そういうことじゃない。
できるようになりたいのは、そこをなんとかしたいのは、その先に行きたいのは、わたしなんだから。
自分でやりたいことを、選んでるだけで、ほんとにやりたくないなら、やらなければいい。

思ってるより、かみさまはやさしい人だった。
怖さのもとは、他人の目線や言葉だった。

エネルギーが汚いとか、根っこが繋がってないとか、ほんとにそう思うなら、変えればいい。
信じたことが、ほんとの種になる。
変えることも、一瞬。

今、生きてるってことは、最大の許可とサポートをもらってるってことじゃないのか?

そう思う。
今日は。

また、3年後。
どう思ってるかな。


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大切にしていること。

何を大切に思っているか。

この前、Facebookで友達への返事を書いてるとき、改めて、気がついたことがありました。

病院やワークショップで出会った人たちのことを、思い出していました。
その人たちの変容していく様子を見てきて、ワークの提供もするようになってきて、思ったことでした。



頭で理解するためには、今まで見たり聞いたりしたことと比較したり、知ってる名前に置き換えたくなる。

でも、ほんとは、全くおなじ症状や出来事はないから、一回ずつリセットして、その人、状況を見る必要がある。

とっても長い映画の1シーンを、共有してるだけで、その前の物語や、その後の物語は、わからない。

言葉は便利だけど、不便でもある。
イメージそのままを、表現できない。



「同じ症状でも、施術の強弱を変えること、場合によってはダイレクトに症状に介入しないこと、何でもかんでもこちら側からの一方的な判断を押しつけない、
その人自身(身体)が答えを知ってるということ、そこに敬意を払うこと。

特に、敬意を払うこと、をいろんな場面で学ばせてもらった。
そこが、すっごく大切だって思うんだ。

その人の長い人生の中で、たった数時間、数日で、その人全体を見た気にならないこと。
たとえ、その人が、わたしの目の前で、寛解しても、それは、その人自身の今まで積み上げてきた日々の功績で、それがたまたま、その瞬間だったってこと。

反対に、たとえ、その日のその時間、その人が大爆発したとしても、いつもその人がそうだと思わないこと。
そう思ってる。
そこ、すごく大切だと思うんだ。

そして、他にも同じようなことを経験した人がいる、理解できる人がいる、ひとりじゃないって知るだけでも、症状が変わると思うんだ。
わたしも助けてもらって今があるから。
そして今はどちらの立ち位置からも、たくさん見たり聞いたりしてきたから、そう思えるんだ。」


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「ヒーリング・パルス・リトリート」のこと。

ながれていくもの


去年参加した「ヒーリング・パルス・リトリート」
また今年もあるそうです。

ヒーリング・パルス・リトリート in 2015



このときに書いた感想
久しぶりに読んだ。
もう自分の一部になっていて、忘れてた。
でも、始まりは、この時だったんだな。

このリトリートのあと、知り合いのカフェで、店に置いてあったタンバリンを無性に叩きたくなって、叩いてた。

そのときの感覚。
なんとも言えないものだった。
そこにいた3人で、産み出したリズムの波の中にいた。
リズム感がないとか、打つ手の動きに間違いがあるんじゃないかとか、思わなくていい、間違えようのないふしぎな流れの中にいて、ただ、それを楽しんでいた。

それは、英語から日本語に、日本語から英語に変換するときに、ひとつひとつの単語の意味を考えずに、イメージが流れてきて、いつの間にか流れにまかせて話してるような感覚。
(同時通訳してるひとは、仕事中、こんな感じなんだろう)

エネルギーワークやヨガ、瞑想のワークを提供するときや、一人でワークをやっているとき、ふしぎな「線」のようなものにすっと入ってく瞬間。

からだが何かの流れにちょうどぴったりあったような。

ヨガでいうと、ちょうどよいバランスのところに全体があって、流れの中でからだが自然に動いてくような。

施術をしているときに、受けてもらっている人の微細な内部の動きがわたしの手に、ある瞬間から同調して丁度よい方向に導いてもらうような。

そんな瞬間に起こる感覚。

それは、わたしひとりの中で起こるか、施術のときに受け手側との間に起こる「内面だけで感じる」ものだった。

このリトリートで、初めて、それに「音」(リズム・パルス)が加わった。
外から聞こえてくるもの。それでいて、内面にも同時に起こっているもの。

音、光、色、エネルギーと、名前は違うけど、もとをたどれば同じなんだって気がつかせてもらった。

去年参加した理由は忘れた。
でもリズム感を学ぶとか、太鼓の叩き方を学ぶ、っていうリトリートではないんだって、参加して初めてわかった。
それ以上のものだった。

この説明読んで、やっとこのワークショップで起こっていたことが、あらためてわかった。
(以下、Inner Silence フェイスブックページより引用)

「前半3日間は、パルスとリズムを全身で味わうことを何度も繰り返していきます。そうすることによって徐々に思考が薄くなり、その反面、意識が明晰になり、パルスとリズムが融合していきます。この融合体験は「恍惚状態」をもたらし、思考では捉えきれないものに触れていく感覚があるのです。個を超え、思考では捉えきれないものに触れた時、何か源に触れる感覚があり、その時に人は癒されると思うのです。」

では、あのときの感覚は、「個」を超えて「源」に触れた感覚なのだろう。
ひとが「癒される」感覚。

自分の悩みや、置かれている状況が消えて、この瞬間だけになる。
圧倒的なパワフルな、この瞬間だけ。
時空を超越したような感覚。
そのとき、自分がひとりではなかったんだって気がつく。
意識しないで、呼吸をして、心臓が動いている。
それだけでも、奇跡的なことで、生かされていたのだって気がつく。
そういうとてもシンプルなことは、いまここを意識できたときに、初めて気がつけることなんだと思う。
強烈にそれを体験できたとき、ひとはなぜか、安心し、癒しが起こるのではないのだろうか。



※ 開催場所のホームページ:越後奥寂庵
 Facebookページ:Inner Silence

やっと、出逢えた「○」。

はちのじのまんなか

からだの中心に感じる「静けさ」。

「静けさ」とリズム、パルスは同じ。

リズムは今が動いてったもの。

そのパルス(脈動)は、ひとつの動き、そしてみんなの動きがつながったもの。

そして、そのまんなかに、「静けさ」がある。

海の波。
空の風。
「昔」の時から、流れてきてるパルス。
生きてるエネルギーの流れ。

穏やかで、静かな、ところ。

「静けさ」のタイムラインにある「間(ま)」。
「間」=「今」

「今」を感じる。
「今」を強烈に感じる。
「今」を濃厚に感じ、味わう。

そこに「静けさ」が現れて、「今」だらけになる。
「間(ま)」になる。



強烈に生きてる感覚があるとき。

愛し、愛されるとき。
愛しあうとき。

ひとりでいるようでも、それを感じる、感じられるとき。

一人の、二人の、みんなの、時が止まって感じられる。

その瞬間の「今」にいる。
そのまっただなか、まんなかに。
広くて、狭くて、おっきくて、ちっさい、点の中心に。
すっぽり。
はいってる。

まるで、時を越えて、出逢えたような。
そこにたどり着いたような。
でもいつもそこにいたような。

なつかしくて、あたたかいところ。

不思議な瞬間。
空間。

「空」の「間」。

空の目
竜巻の目。
渦潮の根っこ。

子宮と地球。

8の字のまんなかの点。

やっと、出逢えた「○」。

(2014月10月13日。「ヒーリング・パルス・リトリートリトリート」にて。)

すべてのことには時がある。

本屋さんにて

アルケミストの作者、パウロ・コエーリョの新刊「ヴァルキリーズ」。
この本の原文は10年前に書かれている。
本屋で開いてみた。
245ページだった。

わたしはしたいことがあっても、自分にはそれをやる価値がない、まず自分を癒す必要がある、と思っている。
でもそういう順番ではないのかも。

「もし私たちが自分の欠点や弱さをありのままに受け止め、欠点や弱さがあったとしても、自分は幸せな人生を送るに値すると信じるならば、愛が入ってくるための巨大な窓を開け放すことが出来るのだ。そして私たちの欠点はすこしずつ、消えていく。なぜならば、幸せな人は世界を愛だけを持って見ることが出来るからである。」

つまり、わたしたちが受けとる価値がないと思っていることも、それが愛に基づいて行っていることなら、すべてのことは可能になる、ということ。。。(と解釈してみる)


「すべてのことには時がある」
前に入院していた病院はキリスト教系の病院で、散歩のとき、階段をよく行ったり来たりしていた。
その階段の踊り場に、聖書からの言葉が額に入れて飾られていた。
そのうちのひとつがこれだった。

いつも、待ってなんかいられなくて、今すぐ退院したいだの、会社に早く戻って仕事したいだの、今すぐ○○を習いたい、資格が欲しい、○○が欲しい、答えが欲しい…とか。
そんなとこは相変わらず変わっていないわたし。
でも、だいぶ待つことの大切さもわかってきた。

自分がしたいことが、その人生を通じてほんとにしたいこと、望んでいることなら、その願いがおっきければおっきいほど、その「絵」を完成させるパズルのひとつひとつのピースたちが完成するのを待つために、時間も必要ってことなんだな。
その「絵」に関わる他の人たちのピースや、自分の理解が深まってきて、やっとそんなのが「絵」に重なって来てくれるまで。

ほんとにしたいこと、どんな「絵」を完成させたいかはまだ見えないし、これから先もわからないんだろう。
そういうのって、死ぬ瞬間は、わかるものなんだろうか?

まだまだ自分自身のことでさえ知らないことが多く、これからどんな出会いや学びがあるかわからないし。
それになにより、まだ自分の全てを受けとめきれてなくて、それを開示するのはやっぱり恥ずかしいって思ってるから。

でも、たくさんの素晴らしい人たちからいろんなことを教えてもらってきたこと、これからはもっと、いろんな機会にシェアしていきたい、って思う。

やっぱり最後は勇気を持って「跳べ」ってことかな(笑)

でも「跳ぶ」瞬間は怖くないらしい。
そのちょっと手前に、言葉とかに表せない化学反応的な「確信」のようなものがあって、優しくあたたかく、背中を後押ししてくれるらしい。
それは街中を流れる音楽や本やテレビからキャッチしたフレーズだったり。

そういうものなんだろうな。

ほんとうの自分の姿って?

Body Dysmorphic Disorder(BDD=身体醜形障害)の動画。
http://www.youtube.com/watch?v=phqGqKmZLMc

この動画に出てくる17歳の女性。
金髪でスタイルも良く、顔もとてもきれいだと、多くの人がそう思うのではないだろうか。

でも、彼女はそうは思っていない。

彼女が描いた絵は、彼女が自分の姿をどう見ているか、垣間みることができる。
「鼻にそばかすがある、くちびるの形が良くない、ほっぺがおっきすぎ。
腕はすごく小枝みたいに細く、でも長い。
おなかから太腿にかけては肉がつきすぎてて、他の部分とつりあいが取れてない。」
と彼女は言う。

「それは自分の姿をゆがめて見ているということだよ」
と司会者は言う。

彼女はもしかしたら、100%BDDと言えないのかもしれない。
でも、ほんとうに彼女は自分が醜いと信じている。

3歳のときから、美人コンテストに出ていたという彼女。
動画のコメントで多かったのは、彼女は注目を集めるためにテレビに出たに違いない、というもの。
でも彼女の高校時代に一緒にバンドをしていた友達のコメントによると、彼女はほんとに四六時中、他の人からどう見られているかを気にしていたという。
ほんとうにきれいだけれど、彼女自身がそう自分のことを認めていない。

自分のことは、自分が一番良くわかっているはずだ、と思う。
でも頭の中で作られたイメージほど、強力なものはないんだな、と思う。
それがほんとうかどうか。
外から自分を見ることって、難しい。

そもそも実際に同じものを見ていても、見る人によって、様々な解釈がそこに生まれるのだろう。
姿や形だけでなく、そこで何が起こって、何を思い、実際に何が話されたか。
ほんとに、いろんなストーリーが瞬時に生まれて、全く同じことを思う人なんていない。
まるで、全く違う場所で違うものを見たみたいに。

それだったら、いっそ自分の好きなように解釈して、それを信じられたらいいね。
でもそれが一番、不確かに思えて、難しいことでもあるんだね、きっと。

周りの意見や視線を気にしすぎると、いつの間にか自分が消えて、人々の背景と化してしまう。
それが一番、楽で安全に思えるのだけど、それが一番、自由がきかないことでもある。

さかな先生に教えてもらったこと。

みどりのおとこの子

「教えてもらう」と「学ぶ」は違う。
「教えてもらう」という言葉の中に、自分の中に価値や基本的な何かが欠けているというニュアンスが含まれている。
エネルギー、ボディ、心理療法について、あなたは難しく考えすぎている。
どれも「しこり」を取る作業。
例えば「しんどくなる」というしこり。
それを心理、ボディ、エネルギーレベルと、違う角度から見ているだけ。

エネルギーについて。
気の流れ、エネルギーは昔から言われている。日常的に存在してきたもの。
何も不思議な現象じゃない。


それから。
あなたはお母さんとの関係にまだしがみついてるよ、って言われた。
「え?」と聞き返した。
自分のことを価値のない、嫌われても否定されても仕方ない、他の人から評価される者と思っている、って。

ふたたび「??」

最初から、あなたの頭に「わたしははずかしい人間だ」とか
「価値のない人間だ」っていうものがあるから、どんなに何かをしようとしても、答えはいつも決まってしまっている。
そして動けなくなってしまう。
やりたいこと、やろうとしていた計画とか忘れて。
「無能なあなた」、「何もできない、しないでいて」と
今はおかあさんではなく、からだがしている。自分でそうしているんだよ。
何も考えずに飛び込めばいい、ボブさんが言ったみたいにただ「jump in」すればいいんだよ。

あなたは考えすぎるくせがある。
そういう時は、禅みたいにひとつひとつの所作を意識してやってみること。

愛について。
愛はからだが緩む感じ。
それは「愛」がそこに存在している、というより、相手から感じる、流れてくるものでもあるんだよ。


さかな先生と話をしていて、なんて素敵なメッセージをくれる人だろう、なんてわたしのこと、言いたいことを理解してくれているのだろう、って思った。
でもさかな先生は、わたしが今まで話してきたことをまとめてみただけだ、って言ってた。


いつのまにか遠くまで来ていた。
だいぶ変わっていた。
そのわたしの歴史を、この5年、どんなふうに悩んで、いろんなことを迷い、いろんなことを学び、何があって誰と出会い、そして今ここにいるかを知っている人と話をしている。

「みどりのおとこの子」のコラージュ、作ったときのことも知っている。
「なつかしい」と言ってくれる。
その一言が、今までのことを、知ってくれているっていうことを、シンプルに表している。
その一言が、とても深いところにしみこんでいった。
涙が出た。
それは、これからの関係が変わってくってことを、どこかでわかっているから出た涙でもあった。


前に進むとき、変わってくとき、目指していく方向があるとき、どうしても変わっていく部分がある。
いつまでも同じ風景じゃいられない。
その関係性や場所が居心地よく、そこに居続けたくても、やりたいこと、したい方向性が変わったら、出て行かなきゃならないことがある。
それは「そこが嫌い」とか「その人が嫌い」ってことじゃない。

「でも」って思う。

この人がどんなにわたしのことを理解してくれ、どんなにお世話になっていたか。
ほんとに気づいてなくて、今日やっとほんとうの意味で気づけたのかもしれない。


この日、さかな先生と話をしていて、そんなことをとても深いところで感じた。
いろんな人との出会いの中で、これまで育ててもらったたくさんのこと。
その人たちとの交わりの中で、学べたこと、わかってきたことたち。
それが、これから出会う人たち、今出会えてきた人たちの前で、初めて花開くのかもしれない。
それは、その人たちがわたしの過去にいてくれたからこそ。
どんなに関係が変わり、今までのように頻繁に会えないところに行くことになっても、さかな先生のことは忘れない。
そしてここに書けない他の多くのお世話になった人たちのことも。

さかな先生、ありがとう。
みんな、ありがとう。
プロフィール

Yokie (よーきー)

Author:Yokie (よーきー)
心と身体を見つめていく中で、いろんな偶然の出会い、素晴らしい出来事がありました。


出逢った全ての人たちへ。

感謝の気持ちを込めて。


「ありがとう!」



★ YOKIE(よーきー)
〜 エネルギーボディワーカー

アトピーのリバウンド、5回の両目の手術を通し、心と身体に興味を持つ。

会社員時代は、度々ドクターストップがかかり、入院生活を送る中、
自分の身体の声に耳を傾けることを始める。

会社員を辞めた後、本格的に、ボディワークのセッションを始める。
また、エネルギーワーク探求のため、海外に出向き、ヨガや瞑想をマスターし、
セッションに取り入れるようになる。

現在は、ボディワークのセッションの他に、
ヨガと瞑想、エネルギーボディワーク講座を行っている。

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